力強く信頼される企業へ 2023年 株式会社塩月工業は、設立50周年を迎えます。

 

感謝と新しい50年の成長へ

塩月工業は、令和5年2月16日に会社設立50周年を迎えました。

 この記念すべき節目の年を迎えることができましたのは、ご指導頂いているお客様、ご協力頂いている関係取引先のみなさまのご愛顧の賜物であり、 社員一同、心から感謝申し上げます。
 弊社は1962年(昭和37年)創業 1973年(昭和48年)設立、高度成長期末期の高まる建設ニーズに応えるように誕生しました。それから激動と言える建設業の大きな変革の時代を歩んで参りました。
 「力強く信頼される企業へ」 初代社長 塩月勇司が掲げたこの言葉は、時代の流れや社会情勢の変化に関わらず弊社が取り組む普遍的な指針であります。 
 これからも先輩方が築いてきた伝統を引き継ぎながら技術の向上に力を注ぎ、次世代を担う人財育成に励み、これからの新しい50年の成長への歩みを始める所存です。
 今後共、ものづくりという天職を全うし、企業価値を創造することで、社会に貢献するよう精進して参ります。尚一層のご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。

令和5年2月16日
株式会社塩月工業
代表取締役社長 塩月啓司

50年の歩み

ここで、弊社の50年という半世紀に及ぶ歴史を振り返ってみたいと思います。
なお、取引先企業様の御社名は、敬称を略させて頂きます。

1962年(昭和37年) 塩月勇司が大分県佐伯市で、個人経営として創業
1973年(昭和48年) 2月16日、称号を有限会社塩月工業として会社を設立
1973年(昭和48年) 那珂川市 筑紫ケ丘ゴルフクラブ造成工事
1974年(昭和49年) みやこ町 京都カントリークラブ造成工事

この頃の日本は、1955年から続いた高度成長期の末期で、1973年オイルショックを迎え、狂乱物価と言われるインフレが発生しておりました。それから1980年代初頭にかけて、更にインフレが進み、国内景気が急減速している時代でありました。この2つのゴルフ場の工事は、会社設立して間もない造成工事とあって、ステップアップする機会となった現場でありました。
 ※ 発注者を記載していない工事名称は、全て弊社の特定顧客である「大林組」もしくは「大林組JV」の発注。
 ※ 施工場所は福岡県内は市町村名を
、福岡県外は県名を表記。

1975年(昭和50年) 大分県佐伯市から福岡県春日市に拠点を移す
1979年(昭和54年) 株式会社塩月工業に組織変更、資本金を1,000万円に増資
1980年(昭和55年) 長崎県 光風台宅地造成工事
1983年(昭和58年) 佐賀県 長崎自動車道武雄北方インターチェンジ工事
1984年(昭和59年) 福岡県春日市に新社屋(本社ビル)を建設

塩月勇司社長は、創業からの特定顧客である大林組の信頼を得ることに終始一貫し、ものづくりの原点に立ち、土木技術の研鑽に奔走していきました。また景気が回復しない最中、躊躇うことなく、大型重機の導入、社員寮を兼ね備えた本社ビルを建設など、次々と将来への投資をしていきました。
長崎の光風台造成工事は、会社設立から7年目に会社の大きな飛躍に繋がることになります。4年をかけて多くの人財を投入する施工で、1982年(昭和57年)に発生した長崎大水害も相まって壮絶な苦労を強いられた現場でした。

1986年(昭和61年) 長崎県 鳴見ダム建設工事
1987年(昭和62年) 佐賀県 玄海原子力発電所3号機増設工事
1988年(昭和63年) 沖縄県 ベルビーチGC造成工事

昭和60年代初頭には、次々と大型物件を受注していきます。
鳴見ダムは、弊社が初めて受注したダム工事です。後にダム施工業者として認められる足掛かりとなる現場です。今でも当時の壮絶な苦労話をよく耳にします。
この玄海原子力発電所の工事は、社長が一念発起し、大林組の土木ではなく建築だった原子炉工事を受注したものです。後に4号機増設工事も受注し、平成8年まで9年間継続し、平成25年からは別工事で、現在でも施工に従事しています。
ベルビーチGCは、最初の沖縄の現場です。
経験したことが無い新たな工種や遠方での工事にも挑戦していきます。

1990年(平成 2年) 愛媛県 新宮インターチェンジ工事
同 年 大分県 高江ニュータウン造成工事
1992年(平成 4年) 長崎県 桜川ダム建設工事
1993年(平成 5年) 宮崎県 田代八重ダム本体工事
1994年(平成 6年) 愛媛県 富郷ダム建設工事、長崎県 樋口ダム建設工事
同 年 資本金を3,000万円に増資
1995年(平成 7年) 阪神大震災が発生
1996年(平成 8年) 佐賀県 藤ノ平ダム建設工事
同 年 春日市 白水汚水幹線第26-2工区築造工事(春日市 発注)
同 年 沖縄県 那覇港道路三重城立坑下部工事

新宮インターは、初めての四国での工事で、後の四国進出の足掛かりとなります。
高江ニュータウンの造成工事は、竣工迄6年間を要した弊社で最も大きな宅地造成工事となります。
田代八重ダム、富郷ダムなど、多くのダムを受注し、同時に複数のダムを施工していきます。
富郷ダムは、堤高100mを超えるハイダムで、当社施工では最も大きなダムです。

平成6年以降、社内の管理体制と営業体制の改革に着手します。会計システムや原価管理の改革、そして元請工事の受注への挑戦が始まりました。

阪神大震災の復興工事には、大林組からの依頼を受けて、神戸へ職員を派遣しました。
平成8年 春日市の白水汚水幹線は、弊社が初めて受注した元請物件です。
三重城立坑工事は、那覇空港から那覇市内に抜けるバイパス道路で海底トンネルの立坑工事で、平成8年から平成15年までの7年間の長期の大型工事でした。

1997年(平成 9年) 福岡市 地下鉄七隈線天神工区建設工事
1998年(平成10年) 資本金を5,000万円に増資
1999年(平成11年) 6月 福岡水害の発生
同 年 福岡市 新天神地下街建設工事
同 年 9月 沖縄営業所 開設
2000年(平成12年) ISO9001品質マネジメントシステムを自力で取得
2001年(平成13年) 小郡市 連絡管廊3工区(福岡県 発注)
2002年(平成14年) 佐賀県 中木庭ダム多目的ダム工事
2003年(平成15年) JR春日駅西側駅前広場整備工事(春日市 発注)
同 年 福岡市 河川激甚災害対策 特別緊急工事(護岸工事4工区)(福岡県 発注)
2005年(平成17年) 年末、大手ゼネコン4社が「談合決別宣言」を発表

平成10年代は、本格的な大型都市土木工事としては初めてとなる天神地区の地下鉄と地下街工事に着工します。福岡都心部でのシンボリックで大規模工事とあって、世間の注目を浴びる工事となりました。

平成11年6月に、福岡県が管理する御笠川が氾濫し、博多駅周辺を中心に市街地で甚大な被害が発生しました。

三重城立坑工事が最盛期を迎えていた頃、沖縄地区の営業拠点として、沖縄営業所を開設します。

この頃、塩月勇司社長は品質に関する信頼を得る為、また社員の意識改革の促す為に、品質マネジメントシステムISO9001の取得をするよう指示をしました。一般的には専門コンサルタントに依頼して、指導を受けながら取得しますが、社長は自力で取得することを命じました。1年半をかけて、マニュアルを作成、社内での研修、指導を実施し、苦労の末、平成12年に、地場企業としては先駆けとなる取得が出来ました。自力取得はレアなケースだったようで、新聞に取り上げられるほどでした。

平成13年に、福岡県発注の物件を初めて受注します。これ以降、県からの受注は定着していきます。平成11年発生した福岡水害が激甚災害に指定され、御笠川の改修工事が地元物件として発注されていきます。弊社も福岡県から多くの御笠川の激甚災害対策工事を受注しました。
ISOの取得と元請工事を請負うことで、これまでのゼネコンの下請としての実質施工だけでなく、施工管理、品質管理の能力を強化していきます。

平成17年の「談合決別宣言」以降、弊社は大型物件が軒並み完工した結果、安定した長期物件が減り、他社ゼネコンや元請物件を価格面で無理して受注することを余儀なくされていきます。

2007年(平成19年) 春日市 フォレストシティ造成工事(日本国土開発 発注)
同 年 筑後市 九州新幹線船小屋駅工事(大成建設 発注)
2009年(平成21年) 沖縄県 億首ダム本体工事(大成建設 発注)

平成18年から平成24年頃の間、大林組の物件が減少し、新しい顧客の施工を増やしていきます。しかし他社ゼネコンは信頼関係が薄い事や従来の売上額を確保しようと無理をした受注を繰り返した為に、会社の業績は更に悪化していきます。
そんな中、塩月勇司は兼ねてからの意向であった世代交代をしようと、代表取締役社長を交代することを決断しました。

2010年(平成22年) 代表取締役社長を塩月啓司、常務取締役に塩月貴俊、取締役会長に塩月勇司が就任
2011年(平成23年) 東日本大震災が発生
同 年 北九州市 ひびきLNGタンク工事(大成建設 発注)
2013年(平成25年) 大分県 太陽光発電設備(東工区)工事
同 年 大分県 大分ソーラーパワー建設工事(日本国土開発 発注)
同 年 宮崎県 山須原ダム通砂対策工事(前田建設工業 発注)
同 年 佐賀県 玄海原子力発電所 原子力保安関連工事

東日本大震災によって、全国の原子力発電所が停止され、日本中が電力不足となり、太陽光、水力発電、天然ガス等のエネルギー関連工事の発注が増えました。
大分メガソーラー工事は、1km四方の埋立地に80メガの太陽光パネルを敷設する工事で、1日約200名の作業員で施工する工事でした。
山須原ダムは、前田建設工業からの初めての受注です。この工事はダムの機能を生かしたまま堤体を部分的にカットし、新しい大きなゲートを作るというもので、堤体にかかる水圧と戦いながら昼夜で行う非常に難易度が高いものでした。未経験の工事でしたが、ダムと都市土木の施工実績を買われての受注であったと思います。
その後、原子力発電所の再稼働に向けて、原子力保安施設工事が全国的に発注されていきます。

この頃から少しずつ会社の業績が回復していきます。以降、売上の大小に関わらず、確実に利益を出せる体質へと変化していきます。

2014年(平成26年) 福岡市 地下鉄七隈線中間駅西工区建設工事(櫛田神社前駅)
同 年 広島県 庄原ダム本体工事
同 年 福岡市 番托井堰改築工事9工区(福岡県 発注)
2016年(平成28年) 香川県 丸亀新ドック工事
同 年 番托井堰改築工事が福岡県建設技術協会より福建賞を受賞する
同 年 熊本地震が発生
2017年(平成29年) 熊本城石垣復旧工事

地下鉄七隈線中間駅工事は、櫛田神社前駅の掘削と構築をする工事で、久しぶりの大型長期の都市土木工事となり、2023年までの9年間を要しました。
九州外の中国地方、四国地方の遠方での受注も増えてきます。庄原ダムも丸亀新ドックも大林組の所長から直接、依頼を受ける特命の受注でした。
元請工事の発注は、一般競争入札が増え、高度な技術提案が求められ、竣工検査の評価に施工中の創意工夫等が大きく左右されるようになりました。
番托井堰の福建賞の受賞は、その努力の成果とも言えます。
熊本城石垣復旧工事は、熊本地震以降、現在も継続している現場です。

2019年(令和元年) 那珂川市 春日那珂川水道企業団発注の東隈取水場施設築造工事
2020年(令和 2年) 福岡市 天神ビジネスセンター地下道連結工事(前田建設工業 発注)
同 年 新宮町 相島第2ダム改修工事(新宮町 発注)
2021年(令和 3年) 金田親義総務部長、山北磨史営業部長が取締役に就任
同 年 島根県 島根原子力発電所 関連工事
2022年(令和 4年) 小郡市 九州自動車道宝満川橋梁 床板取替工事
同 年 沖縄県 石垣島火薬庫新設工事(前田建設工業 発注)

天神ビジネスセンターは、前田建設工業(建築部)からの受注で、都市土木の実績が評価されての受注です。天神ビックバンや博多コネクティッド関連工事を受注するようになります。
相島は新宮町の離島で通称ネコ島と呼ばれている相島の水瓶となっている貯水池の改修工事です。
令和3年には、役員を増員し、新たなステップを踏み出します。
島根原発は、玄海原発と同様の原子力保安関連工事。この工事も大林組の所長からの特命での受注でした。
宝満川橋梁の床板取替工は、高速道路を部分的に占用して、昼夜の工事で、初めて工種となります。
石垣島火薬庫工事は石垣島での初めての工事となりました。

  50年の歴史を最後まで、お目通しいただき、ありがとうございました。

創業期
昭和50年代
昭和60年代
平成初頭
平成10年代
平成20年代
令和初頭
メインサイトに戻る
ページの最上部までスクロール